2009年03月26日
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面白ショートショート『メリケン・ラッシー』

Written By: 遠野秋彦連絡先

 あるところに村があった。

 人口も少なく、近隣に村もほとんど無く、

道路や鉄道の建設も後回しにされていた。だから、都会にも縁遠かったし、まして外国は想像を絶する遠さであった。

 その村に、やたら美人だが頭の悪い娘がいた。村ではアホ美と呼ばれ、表面的には馬鹿にされていた。しかし、日が落ちると、村の若者達数名により、アホ美に対する求愛合戦が繰り広げられていたのも事実である。気の強い女、頭の回転が速い女よりも、美人だが男の言いなりになる頭の悪い女の方が好ましいと考える男は多かったのだ。

 ところが、アホ美の頭の悪さは村人達の想像よりも遙か上にあった。

 アホ美は、こともあろうに、数名の求愛合戦に巻き込まれたことで、自分には男を惑わす美貌があると思い込んだのである。

 そして、アホ美は求愛してきた男達から貢がれた金目のものを持つと、村を飛び出した。金持ちのエリートを捕まえて結婚し、故郷に錦を飾ると書き置きを残していたが、全てひらがなで書かれていた。アホ美は、漢字も書けなかったのである。

 村人達は、アホ美には絶対無理だと噂しあった。

 しかし、風の便りに何やら外国も飛び回るエリートと結婚したという噂が伝わってきた。

 村人達は、それを信じなかった。口の悪い者は、ヤクザ者に騙されて海外に売られたのだろう、とまで言った。

 だが、ある日、そのアホ美から手紙が来た。

 内容はひらがなだけだった。

『らっしー という かしこい いぬ を つれて かえります。らっしー は めいけん です』

 しかし、村人達は「めいけん」を「めりけん」と読んでしまった。無理もない。アホ美の書く字は汚く「い」は「り」としか読めなかったのだ。しかも、「賢い犬」と先に書いてある以上、更に「名犬」と書くのは同じ意味の繰返しである。そのようなことは書くまい、という常識も働いたのである。

 その結果、村人達は「めりけん」と呼び習わしていたアメリカの犬を連れてアホ美が帰ってくると解釈した。

 そこで、村人達は慌てた。

 アメリカの犬と言われても分からない。

 日本の犬とどう違うのか。

 食べるものは同じか。

 やはり英語で吠えるのか。

 村人達は出会うたびにそのことを話し合った。

 「やはり、英語で吠えるのだろう」

 「ワンってのは、英語で1のことだから、ワンと吠えたら英語だろう」

 「いや、それなら日本の犬も英語で吠えてることになるぞ」

 議論はそのあたりで行き詰まった。

 しかし、農業指導で来た大学の先生がその状況を打開した。

 村人の1人が、帰ろうとする先生に質問した。

 「アメリカでも、犬はワンと吠えるのでしょうか?」

 「いや。アメリカでは犬の吠え声はバウと表現するのですよ」

 この瞬間に、村人達は完全に誤解した。

 アホ美が連れ帰る犬が「バウ」と吠えたら本当にアメリカ犬。「ワン」と吠えたら日本犬であり、アホ美は騙されたことになると解釈したのだ。

 しかし、犬の吠える声に差があるはずがない。違うのはそれをどのような言葉として受け取るかである。「バウ」と「ワン」の差は、聞く側の人間にあるが、村人達は犬の差だと思い込んでしまった。

 そして、村は完全に2派に分かれた。

 片方は「バウ」派である。アホ美はアホだが美人だ。本当にアメリカ犬を買ってくれるような男と仲良くなる可能性は否定できないという。もちろん、エリートと結婚という話までは信じられていなかったが、プレゼントをもらうぐらいの関係になった可能性は十分にあり得るというのだ。

 もう片方は「ワン」派である。アホ美は馬鹿なので、騙されて日本犬を掴まされた可能性が高いというのだ。

 そしてついにアホ美が村に帰ってくる日が訪れた。

 犬のラッシーは「ワン」と吠えるか、「バウ」と吠えるか。

 村人達は固唾を飲んだ。

 綺麗に着飾ったアホ美が、タクシーから降り立った。

 そして、アホ美の腕の中には小さな犬がいた。

 いや、それは厳密には犬ではなかった。

 それは犬型ロボットだった。

 「やあ皆さん。初めまして。僕の名前はラッシー。人間の知性をアシストする補助ロボット試作機です。犬型をしているので、ご希望とあれば犬のように振る舞うこともできます。吠え声も、ご希望に応じて日本語wan-wan、英語bow-wow、ドイツ語wau-wau、フランス語ouaf、スペイン語guau-guau、オランダ語waf waf、イタリア語bau-bauなど、ご自由に選択できます。どの表記をご希望ですか?」

 村人達はそれを聞いて凍り付いた。

 どうやら、ワンでもバウでも自由に選べばそれに対応すると言っていることまでは理解できた。しかし、ワンかバウかで対立していた村人達に、それは想定の遙かに上を行く予測もしていない状況だったのである。

 村人の状況に気付いていないアホ美は誇らしげに言った。

 「ね、とってもかしこい、めいけんでしょ?」

(遠野秋彦・作 ©2009 TOHNO, Akihiko)

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